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はじめに![]()
30歳を過ぎて大学に戻り勉強する人間はどのようなタイプがいるであろうか?それまで社会で積み重ねてきた自分のキャリアをアップさせる為に修士号や博士号を取りに来る者、又特定の分野の研究に来る者等があげられるであろう。
ちなみに今現在36歳の私はそのどのタイプでもない。単純に4年制の大学卒業資格を取ろうとしているのだ。
そんな自分を特別視するつもりはないが、アメリカのコミュニティーカレッジ、そして私立大学に合計約2年半通っている中で今のところ私より年上の日本人にはまだ出会ったことがないので、日本人留学生としては珍しいタイプであるのは確かなようだ。
わが国、日本は年齢をとても重視する社会であり、30代の男性となれば仕事、家庭全ての面において安定していることが当たり前に求められ、それから外れた者は成功していない限り受け入れてもらえるスペースは極めて狭く排他的な傾向にある。その点アメリカは色々な人種がそれぞれ色々なスタイルで生活しているせいもあり、年齢や他人の目が気になることはまず無く、さまざまな生き方を受け入れるキャパシティは広い。ただ、物質社会としては日本もアメリカも変わらず、あまりにも物質を追いかけ過ぎて、「人間性」という一番大事なものを見失っている点は共通しているように思う。
私個人、大学を中退して以来定職に就かず、役者を志したり、海外を旅したり、そして今度はアメリカの大学を卒業するために32歳で渡米したりと、社会のレールからはある意味外れており又一貫性も無いが、人間として生きる上で何が一番大事なのかはこれまで自分が思うようにやってきたこれらの僅かな人生経験を通して学ぶことが出来たように思う。
30歳を過ぎて4年生の大学に通い卒業資格を取るというのは、一般的にはとても遅いと言われるであろう。しかし私個人的には丁度良い時期だと勝手に思っている。又大学で私自身学びたいことははっきりしているが、卒業資格をアメリカで取るというのも最終的には自分の人間性を少しでも高めるための一つの過程にすぎない。そういう意味ではアメリカのどこの大学で学んでも自分にとっては価値は変わらないのだが、世界的にも有名なコロンビア大学に運良く編入できて実際今通っているのは、自分が今までやってきたことは中途半端なことが多く一つ形として達成させられるものが欲しい、又他人に少しでも認められたいという余計な欲望があるからである。とにかく今は自分が決めたことに対して振り向いている暇はなく、全てに対してベストを尽くすのみという感じだ。
このホームページを作るにあたって、日本でアメリカ大学留学に興味のある若者諸君に対して少しでも役に立つ情報を私の現地での体験を通して伝えられれば嬉しいのは勿論であるが、30歳を過ぎて何か新しいことにチャレンジしたいと考えている人達に僭越ながら少しでも刺激になるようなことを伝えられれば、私としては幸せである。
留学の意味
アメリカの大学で勉強する意味は先にも述べたように人それぞれさまざまであろう。私にとっても勉学はいうまでもなく大切であるが、勉学を通した海外生活の中で学ぶことはこの年になっても山ほどある。
日本社会や文化の異なる人々を客観的に見ることができるだけでなく、自分自身もよく観察することができる。海外生活だけでいえば、ニューヨークにも駐在員として滞在している私ぐらいの年の日本人は沢山いるようである。ただ会社で色々な意味でプロテクトされて生活するのと、全てを自分自身でコントロールして生活するのでは、多くのことを吸収して学ぶ度合いも異なるのではないかと思う。
日本人留学生といえば、年齢的に20代半ばが圧倒的に多いように思うが、30を過ぎてもまだまだ人間的に未熟な私は、留学生という身分でアメリカで生活する価値はかなり大きい。アメリカという日本とは全く異なる環境をうまく利用して、人間性をもっと磨いていきたいものだ。
学ぶこと
学ぶとは聞いたり読んだりしたことを理解した上でそれを自分で考えることだと思う。
自分で考え、なるほどと思ったことはその後も残り、強く納得したことはその後自分の価値観にもなりえる。大学で学ぶこともそうあるべきだが、中々それは難しい。
勿論科目にもよるが、毎回かなりの量の宿題をだされ、それをこなして授業についていかなければならない。宿題の読み物でも相当なページ数で、考えながら読む時間はない。ましてや英語が母国語でない我々はただでさえ読むのが遅いのに、考えながらはほど遠い。そして中間試験や期末試験が待ち構え、試験の為の勉強が始まる。そして期の終わりには成績がA、B,C,とついてくるのだ。
大学の勉強は良い成績を取って良い就職口を探すためだけではないはずだ。それをあまり現実的に考えていない私も問題であるが、せっかくアメリカまで来て一流の大学に通っているのだから多くのことを学んで卒業したい。
学ぶことは本当に沢山ある。その学んだことを人のために役立てることが最終的な学ぶ意味となるのであろう。
英語力
アメリカの大学で勉強する為には英語力が必要なのは言うまでもないが、入学する上での英語力提示としてはTOEFLのスコアが普通どこの大学でも要求されるのは、アメリカ大学留学に興味がある人間は皆知っているであろう。コンピューターベースのTOEFLでは300点中250点あれば、どこの大学も英語力はパスと見なしていいであろう。私もコロンビア編入前なんとかそのあたりのスコアにたどり着いて、英語力はオーケーと勝手に判断していたが、現実は甘くない。
コロンビアは大学内にESLコースが設けられ、10段階のレベルわけがされており、入学(編入)を許可されていても、英作文のテストで10のレベルに達しないと卒業できないようになっている。しかもパスしなければESLのクラスを取らなければいけないようになっており、そのお金は1期当たり(数ヶ月)60万円相当。そして単位には換算されない。
ちなみにそれはTOEFLのエッセイよりずっと厳しい。金取り主義ではあるが、大学ではエッセイはどの科目にもついてまわるものであり、TOEFLだけでは確かに不十分である。
我々日本人にとってやっかいなのはこのエッセイだけではない。スピーキング、リスニング、リーディング能力も大学ではそれなりの能力がないと、学ぶことも限定されてくる。
私もこちらではもう3年近く大学に通っているが未だに教授によっては聞き取りが困難な時はあり、又かなりの読み物を宿題として毎回の授業で課される科目も多く、とろとろ辞書を引きながら意味を把握している暇などはないことは明白である。
そして最後にスピーキング。大学では少人数制のセミナーなどのクラス以外ではだんまりを決め込むことは可能であるが、いざ人前であるトピックについて語るとなると英語はガタガタになってしまい、私は自分の英語力の乏しさに情けなくなることを感じることは多い。
大学で勉強する上ではできるだけ英語力を全般的に高めておく必要があると思われる。そういう意味では去年の9月からTOEFLにスピーキングが導入されたことは好ましいことと言える。日本の英会話学校がもっと繁盛するかもしれない。これからのアメリカ留学は実践的英語力が以前より高く求められるようだ。
知識と人間性
大学といえば知識をたくわえる場所であると思うが、我々は何の為に知識を得たいのであろうか。
良い仕事に就くため、単純に色々なことをもっと知りたいという欲望の為、又は人間性の向上に役立てるため(これはかなり広い意味になるが)など人それぞれの目的があるであろう。
知識を得ることは生きる上で大事なことではあると思うが、知識が一人歩きしてはまずい。あくまでも人間性向上を助けるものでなければ、いくら知識があっても最終的には意味がない。
ある仏教の本に、「ある人は他の人々と比べて物事に対する理解力に優れているかもしれないが、他の人々に対する理解力には欠けるかもしれない。」と書いてあったのを読み、私は心が動いた。
例えば、コロンビア大学の教授はハーバード大学で博士号を取得したなど超優秀な学歴を持った人がざらにいるが、彼らは他の人々と比べると間違いなく、ある物事に対する理解力には優れている。しかし、生徒に対してわかりやすい授業を展開しているか、又どのように生徒が自分の授業について感じているのか等を敏感に感じ取る能力に欠けている教授は割りと多い。
つまり、物事に関しては知的であるが、人間に関しては知的さに欠けるということである。人に関する知的さ、言い換えれば人間性、が優れていなければ、物事に関する知的レベルがいくら高くても全く意味がない。
世界的に有名なコロンビア大学の教授ともなれば、優れた人間性も伴っているべきではないだろうか。人に何かを教える者としてはある意味基本的な要素であるように思う。
コロンビア大学の奨学金
日本人留学生にとってアメリカの大学からでる奨学金は無縁なものと思いがちだが、私が所属している成人教育学部(School of General
Studies)には学部が提供する奨学金制度があり、留学生も申請できる。
申し込み用紙となぜ奨学金が必要なのかを簡単に書いたエッセイを提出しなければならないのだが、ちなみに私は1年目は3800ドル、2年目(今年の春いっぱい)は7200ドルの奨学金がでて、3年目(今年の秋以降)は9000ドル近くが期待できるということであった。学費は1年当たり約30000ドル弱かかるので、かなりのヘルプにはなる。
私の場合は留学生に課せられているエッセイ試験をパスする為にESL学校(コロンビア大学内)に12000ドルを払っているのでその分はマイナスとなる。そして私は来年の春卒業予定なので、コロンビア大学計3年間通う中で、約8000ドルの奨学金がでたことになるはずである。奨学金としてはかなりの額ではあるが、なんせ元々の学費が半端ではない。
アメリカは大学の学費と歯の治療費は普通ではない。「コロンビア大学卒」という肩書きは投資したお金に見合うのか。それよりも大事なのが高額にみあう教育を提供しているのかどうか。私は少々疑問である。
TOEFL
アメリカに留学する学生にとってTOEFLは必須であるが、逆に帰国子女として日本の大学を受験する学生にとっても必要なものである。帰国生である限り当然高得点は求められ、3年位滞在していれば、コンピューターベースのTOEFLで300点中250点以上は必要であろう。(名のある大学を受験する上での話だが。)
そのTOEFLがアメリカは去年の9月からスピーキングが導入され新しいインターネットベースのものに変わった。何人かの生徒(高校生)が実際この試験を受けたが、やりにくい、点数が下がったという声があった。
英語の実践能力という意味では、スピーキングをはじめそれぞれのセクション(リスニング、リーディング、ライティング)が絡み合い、生徒の英語能力を試す上でより良くなったといえる部分もあるが、実際試験日は数ヶ月先までいっぱいで予約が取れない状態。
その為か5月にはペーパーベースの一番古いテストが一回のみ実施された。受けた生徒の話によれば、試験監督はテスト要項を把握しておらず、時間もいい加減で、ある生徒はテープを巻き戻してリスニングテストを受けていたと聞いた。ちなみに彼は603点を取り、目的を達成したが(彼は現在高校2年生でで600点を目標としていたのだ)、テストを提供する側の準備不足は否めない。
又インターネットベースの方がコンピューターベースのものに比べ点が取りにくいのにもかかわらず、同一レベルのものとして扱われている。そのようなことから、アメリカに住む日本人生徒はインターネットベースの試験を避けたい者が多いようだ。
日本も今年の5月から新しいTOEFLが導入されると聞いていたので、もう始まっているのだなと思っていたのだが、TOEFLを扱う日本のサイトを最近見る機会があり、なんとまだ実施されていないということを初めて知った。コンピューターベースのものはまだ特定の場所で定期的に行われており、ペーパーベースも8月に行われるという。
この情報を聞き、高2の生徒は今年の夏帰国して、コンピューターベースの試験を受けることを真剣に考え始めた。アメリカではコンピューターベースは受けられない。基本的にインターネットベースのもののみでそれすら数ヶ月先で受けられるどうかという有様。
日本では東京や大阪に住んでいれば、普通にまだコンピューターベースのものが受験できるようなので、新しいTOEFL導入の悪影響がまだそれほどでていないのかもしれないが、アメリカに住む帰国子女の高校生はかなり迷惑をこうむっている。
新しいものにするのであれば、もっと徹底して統一していかないと生徒は混乱してしまう。大学受験をする上でTOEFLのスコアを重要視する所は多い。アメリカのTOEFLを扱う機関はもう少ししっかりしてもらいたいものだ。
コロンビア大学教授
コロンビア大学の教授と言うと一般的にどのようなイメージがあるのであろうか。著名な書物を多く書き、優秀な教授といった感じか。以前も少し触れたが、莫大な授業料を払っている生徒にとって質の高い授業を期待するのはある意味当然のことである。
私もコロンビア大学で勉強を始めて丸2年経つが、それまで十数個のクラスを取ってきて優秀な教授とそうでない教授は大体半々くらいであった。コロンビアとはいえ全員が全員優秀とはいかないかもしれないが、教え方をもう少し考えて欲しいと生徒が訴えたくなるような授業は提供すべきではない。
パワーポイントを使いそれをなぞるだけの授業で生徒のペースを考えられない教授、板書はいきあたりばったりで書くことがあちこちに飛び混乱してしまう授業、生徒の意見がメインになり授業をうまくコントロールしていない教授など、いやらしく指摘すればきりがないかもしれないが、もし教授として他の仕事が忙しくて生徒への授業準備に十分な時間が得られないというのであればそれは正しくないと思う。
教えること自体は人をヘルプする行為につながり自分の仕事(プロジェクト)などは最終的には自分の為であろう。(かなり一方的になってきたかもしれないが、ある意味そう思う。)又あくまでも仕事として教えることを考えていたら、教える行為には満足がもてないはずで実につまらないであろう。熱意をもって教えていたら生徒もそれに反応してくれるはずである。なんて私は何様という感じになってきたのでこの辺でコロンビアの素晴らしいとは決していえない教授の話はここまでにしよう。
さて、今回(秋期)にとった科目の教授はどうであろう。まだ始まったばかりでよく判断はできないが、4科目とも良い
教授にあたった感じはある。特に詩のクラスの教授は素晴らしい。
私自身、英語での詩を読んでいくのは初めてで、宿題の詩を読んでいても意味はどんどん流れていき、ほとんど把握できない。コロンビアの英文科とうたっているが、私の英語の実力はこんなものだ。これからコロンビアの英文科と胸をはれないまでも恥ずかしくない英語力は身につけたいものだ。
さて、又話がそれてしまったが、詩の教授の教え方はかっこいい!授業がスタートするとあらかじめ述べることの概要を黒板に間単に先に書き、そして我々が読むことになっていた課題の詩を分析していく。その説明は簡潔でわかりやすく詩の心得が全くない私にも理解できる。その詩の分析の仕方は外科医のようでとても正確な感じがする。そしてユーモアのセンスもあり、生徒を笑わしてくれる。そして最後の10分間くらいは生徒に発言の機会を与えてくれて一つ一つ丁寧にコメントしてくれる。
彼は生徒側にたって授業が展開できる素晴らしい教授だ。私自身詩はかなり遠い存在であるが、彼のクラスはためになる感じで楽しい。コロンビアには確かに素晴らしい教授は存在するのだ。
妻の支え
今更始まったことではないが、私がニューヨークで学生生活を行っていることによって妻に与える影響はとてもでかい。こちらへ4年前来てからわずか数週間で仕事を見つけ、それ以来韓国系のお店(化粧品店や衣服店)でフルタイムでずーっと働いている。
私が学生である限り、妻の仕事はサポートではなく生活のためになっているのだ。
去年子供も生まれ、忙しさは一層増し、毎日仕事、家事、育児のために自分の時間は全くない。
私といえば、仕事はしているもののあくまでパートであり家賃を稼ぐ程度。そして主体は学業と、自分がやりたいことをやっている。
この間の夏には同じアパートに住むベビーシッターさんが引っ越した為、子供をデイケアセンターにあずけなければならなくなり、送り迎えの為に彼女は車の免許まで取った。
平日は朝仕事の前に1歳の子供をデイケアへ送り、夜仕事の合間に子供を迎えに行き(仕事は8時までであり、デイケアは7時に閉まる為、迎えに行った後しばらく彼女の仕事場で子供の面倒を見なければならない。)そして帰宅後は夕食の準備におわれ全てが終わった頃にはもう夜の12時をまわっている感じだ。
私も合間に子供を風呂に入れたり、洗濯をしたりしているが、大して役にはたっていない。
家事をすると妻をヘルプしていると考えること自体、私自身間違った考え方をしている。
子供は子供で週4日、大好きな母親を離れてデイケアセンターにあずけられる。
自分勝手なこと(勉強)でついつい周りが見えなくなり、当たり前のように生活しているが、家族には多大な影響を与えており、私の行動は妻の支えがなければ成りたたないのだ。
罰があたらぬよう、精進しなければならないのはいうまでもないだろう。日頃もっと自覚が必要だ。
大学で勉強する意味
このページの最初にも書いたが、私の渡米目的の一つは4年制の大学卒業資格をとること。
30代半ばにして、特に専門科目を研究するわけでもなく、今はコロンビア大学を卒業する為にこちらで留学生活をおくっている。
大学の勉強はもちろん大事であるが、私にとっては他に大事な勉強はいっぱいある。こう述べると矛盾しているかもしれないが、大学の勉強は学期ごとにある意味完結し後々自分に残るものはほとんどない。
大学では大学の色々なルールの中で学ぶことが要求される為、心の奥底からわきでる興味をもちながら自分のペースで学ぶことは中々難しい。専門を研究している人(大学院生)などは別なのかもしれないが、4年制の大学での授業はそんなもんであろう。
そんな中、私が大学で勉強する意味は、大学に通うことを通して、色々なことにアンテナを張り巡らし、大学終了後も続けていける勉強のスタイルを確立することである。
なんだか少し意味不明かもしれないが、仏教や歴史の勉強、英語への興味から翻訳や資格試験の勉強、世界情勢についての知識など、これから学びたいことは山ほどある。(私の色々なことに対する知識不足は明白であるので。)それらの勉強を日常生活のなかでどのように取り入れ、自分の成長につなげていくか。
30代をこして大学に再度通うようになるまでは、学ぶ姿勢は実に怠慢であったように思う。
ここ最近、大学終了後も続行していける自分の勉強というもののスタイルが少し形になってきた。
単位を気にする勉強は勉強ではない。色々なケースがあるだろうが。
大学で勉強する意味2(愚痴編)
今年の秋期は日記でもふれたが、「詩」と「小説の歴史」と「アメリカ劇」と「韓国の歴史」をとった。
クラスも始まり、約1ヶ月半。教授やクラス内容もほぼ把握し中間テストが間もなくやってくる。
この頃は授業中に他の別のことをやっていたりすることが多くなった。アメリカ劇と韓国史の教授の講義は退屈なのでまあ良しとして、優れた教授が担当する詩や小説の歴史でも授業中、翻訳の勉強や単語を覚えたりしている。
まず本来の勉学の興味からすれば、韓国史以外は自分にとってあまり意味がない。
ではなぜ取ったか。まず英文科という専攻から取る科目は限られ、又教授の評判や自分のバイトのスケジュールとの兼ね合いも関係してきて取る科目はさらに限られてくる。その結果念入りに何度も考え取った科目がこの4つ。
科目的にははっきりいって、韓国史以外はどうでもいいという感じ。究極は英語力を向上させるための手段でしかない。
状況的にゆっくり勉強一筋の身分ではないのは確かだが、それよりもまずこれからも続けていく勉強スタイルを確立するためには、以前も述べたが、仏教や翻訳の勉強、又世界情勢の勉強や英語資格取得、そして自分の宝物の一つであるHPづくり、などなどこれらがより大事なことである。
しかし勿論、コロンビア大学というある意味恵まれた勉強環境でもうこれで最後となるであろう学生生活を大事にしていくべきなのはいうまでもない。
結局予習の膨大なリーディングが追いつかず、授業も自然と退屈なものになりつつあることも確かであり、その辺りは今をもっと大事にしてバランスよくいかねばならない。
以上贅沢な愚痴終わり。
書き終わり自分の甘さを改めて実感。
英語のスピーキング
「1年くらい居たらペラペラになるでしょう!?」私が日本の外に生まれて初めて出る前に、何人かの人から言われた言葉だ。今からもうかれこれ11年前。
最初はカナダのバンクーバーにある語学学校で末端のクラスからスタート。その当初は日本語英語で文をならべ簡単な自己紹介ができる程度。来る前に3チャンネルの英語講座をテレビで毎日聞いていたが、生の英語の速さに圧倒され、2ヶ月間懸命に勉強。
日本人との接触を避け(その当時すでに私は24歳で周りは20歳前後の生徒が多かったがその中に私の妻もいた。)、英語をなるべく話すよう心がけ、又カナダ人の語学学校の教師とルームメイトとして一つ屋根の下で生活もしたりしてかなり努力した。
そのおかげでその2ヶ月間は自分でもかなり上達した感覚はあり、日常生活における最低限の基本的英会話力はついた感じであった。しかしその後は平行線といった感じで上達した感覚はゼロ。
今回の滞在も4年目だが、スピーキングに関しては少し流暢性がアップしたかなという程度。
電話での会話などは聞き取りもいまだにままならないことは結構あり、又スピーキングも文法面ではガタガタになりかなりブロークンになることもある。
ペラペラというのが何を基準にしているのにもよるが、日本で海外生活の経験が全くない人が抱く1年もいればペラペラというのは現実とはかなりかけ離れている感じだ。
ちなみにアメリカに10年以上住んでいても、自国のコミュニティにべったりとつかって生活している人々の中には、英語が全く喋れない人も結構いる。
私自身、今留学生ではあるが、授業も講義のクラスのみで、日によっては外で英語を全く話す必要がない日もある。
妻とのコミュニケーションは英語と日本語のミックスで(妻は日本語はかなりいける。日本語能力試験1級をもっている。)、スピーキング上達にはつながるとは思えず。しかしキープにはなっているかも。
とにかく海外にいれば英語が上達するというのは現実離れした考え方だ。
韓国史の勉強を通して
歴史の勉強はずーっと続けていきたい学問の一つ。日本史は勿論だが、韓国史も勉強していると楽しい。
それぞれの国の歴史に精通していれば、より色々なことが理解できるようになり、知識というものは広がるであろう。
読んでいく中で一つ一つを噛み締めるように、「そうだったんだ。」、「なるほど。」、という思いを織り交ぜていくと、学ぶ興味も自然と増すが、読むスピードは自然と落ちる。
又、英語でのリーディング。ただでさえ読む速度は母国語より遅くなり、時折単語の意味を辞書でひいたりもする。又「なるほど。」などという思考をはさめば、前のページにも戻りたくなる。
しかし試験は4日後。範囲は古代から1910年の日韓併合まで。要領よくガンガン読まねばまず全ては読みきれない。
しかし!!!試験の為の勉強になってしまったら、まず後には残らない。暗記などはその典型でなかろうか。
その辺りのバランスをうまくとりながら、今は韓国史の勉強も後々学び続けていくための土台固めといった感じであろう。
とにかく隣の国、韓国。私にとってはただの隣の国ではない(妻は韓国人。)韓国について知らないことは多すぎる。
色々学びたい。純粋な欲望だ。
日本にいればアメリカを想い、アメリカにいれば日本を想う
アメリカに来てから今年で4年目になるが、渡米を決心するまでの数年間の自分の生活を少し思い出していた。一言、仕事をしながら悶々としていた。
役者熱が冷め、人に教える仕事をバイトの延長のような形で続けながら、悶々としていたのだ。
その当時、「将来はアメリカで生活したい。色々な人種がいて、生きる上ではより自然な環境だから。」と人に話していたのを今でもよく覚えている。
そしてアメリカで留学生活をおくり4年、又2年以上帰国していない状況で、日本はかなり懐かしく、クリーンで静かな場所として「ちょっと帰りてーな。」と思う時もよくある。
たかだか4年程度の留学生活でアメリカのことなど理解できるはずもないのだろうが、アメリカに住む上で良い部分悪い部分が自分なりに見え、実際腰をすえて生活する場所としてはどうであろうかと学生生活も残り1年をきった今、時々考える。(生活できる状況をつくれた上でいえることではあるが。)
日本にいれば日本の良いところは見えにくく当たり前となり、悪いところが目立ち、アメリカのような国を恋しがる。
アメリカにいればアメリカの良いところは当たり前となり、悪いところはやはり目立ち、我が国日本を恋しがることもある。
全てが慣れにより物事を客観的に見えにくくさせている。
日本のグループ主義とアメリカの個人主義。どちらも状況により、良し悪しはあるようだ。
今振り返っている暇はないが、たまには振り返るのも自分の位置を客観的に見る上で良いかもしれない。
今
私の留学生活は形としては、毎日学校、アルバイト、勉強の繰り返しで、ある意味単調ではあるが、それを通して心の中では色々な新しいことがおこっている。
実際それらのいくつかは少しずつではあるが行動にもうつし始めている。
総合的に見れば今の生活は36年間生きてきた中で、最も躍動感があり充実しているといえるであろう。
しかし、今の学生生活も終わりが必ず来る。だから今という時をもっと大事にしていかなければならない。
一刻一刻を噛み締めながら、前へ進めれば最高だ。言葉に書くと薄っぺらい感じだな。まあでもこんな感じ。
TOEICテストチャレンジ渡米後2度目
数年前に一度こちらニューヨークで受験したのだが、模擬試験問題集を最近やってみてもスコアアップの期待があまりもてない。時間をみつけながら、それなりにTOEIC勉強はしていたが、もう上達はとまってしまったか。
とりあえず11月11日にチャレンジしてみた。
会場はマンハッタン内中心部から少し南にあるビルで行われた。
20代前半の日本人留学生がかなり多い。韓国人留学生も結構いるのか、大半はアジア人学生だ。
その他、ロシア、フランス、チェコスロバキア、台湾出身の受験者達。(試験用紙に母国語記入の際判明。)
久々日本人留学生の雰囲気を味わった。顔ぶれを見る限り、海外に留学する日本人学生は以前と変わらずといった感じだ。皆色々な思いで渡米してきたのであろう。
日本人留学生以外では中年の女性も何人か見受けられたが、男性受験者の中では私が一番年長であったのはまず間違いないであろう。
上着を脱ぎ、Tシャツ1枚になり、気合を入れる。
リスニングスタート。最初は楽勝ムードであったが、後半のほうで少し崩れ、リーディングで挽回とばかり再び気合をいれなおす。
模擬試験では時間内に終わらないことはなかったのだが、実際の試験ではリーディングの一つ一つがより長く、時間配分は考えていたものの、最後の10問ぐらいはバタバタ状態でとりあえず埋めた感じであった。
これでは数年前のスコアをこえるのも怪しい。
日本ではもう新しいスタイルに変わっているが、こちらでは今年いっぱいまで従来の試験スタイルのようである。
次回は新しいスタイルで再チャレンジか。
2週間後、結果郵送。スコアダウンは勘弁してほしい。トホホ。
結果35点アップ。とりあえず。ホッと。
大学授業料滞納で
アメリカの大学費用と医療費は常識はずれに高いのは有名だが、コロンビア大学も授業料に関してはアメリカ一を争うぐらい高い。
今期私は少し授業料を滞納したまま学校スタート。そして12月にはいり、来期のためのクラス予備登録が数日にわたりオンラインで始まった。
私は最終日、とりあえずいくつかの科目を登録するためにコンピューターに向かう。
しかし登録できない。
授業料未払いの場合は登録できないという内容を確認する。
早速電話で尋ねる。
授業料1000ドル以上の滞納の場合は、登録はできないようになっているということであった。
今期スタート直前の授業料支払い締め切り後、150ドルのペナルティ金が課された。その後は毎月滞納額の1.5%がさらにペナルティ金として課される。1.5%はわずかな割合ではあるが、授業料が授業料だけに馬鹿にはできない額である。
授業料を払っていなければ、それなりのリスクは当たり前といえば当たり前だが、このあたりは学校もしっかりしている。
大学で一番必要な英語スキルは読むこと
ここ最近、TOEFLでもスピーキングが取り入れられ、より実践的な英語力が求めれられるようになってきた傾向はあるようだが、実際大学に通う上でスピーキング能力がどれだけ求められるかを考えた場合、少し疑問を感じる。
大学での授業を受ける上で、話す、読む、書く、聞くの中で一番必要なのは、ダントツ読むことだ。
必要なスキルから順番に並べると、読む、書く、聞く、話すとなる。
少人数制のセミナーやディスカッションを必要とされるクラスなら当然、話す、聞くは重要になるが、講義の大人数のクラスではただ聞いているだけで授業は進んでいく。
そのようなクラスでは、聞き取れないことがあったとしても(特にテスト範囲などの発表など)だいたい紙面でのフォローがあり、又最悪の場合は教授に直接メールで聞けばよい。
私も英文科のクラスを現在(秋期)3つと韓国史を取っているが、話すことは殆ど皆無(教授アシスタントに少し質問した程度)で、又講義自体は退屈なものが多く聞き流していた。その為、勉強といえば読むことのみが求められた。
課題の本を読んでいれば、授業を全く聞かなくても、何とかなるのだ。(これは成績のことを考えた場合。)
それでは何のための大学通学かということになるが、興味ある講義を展開する教授が実に少ないのも事実である。
又本当に興味のある科目を取るのも、大学のルールに縛られ、容易なことではない。(大学院とかなら話は別かもしれないが。)
どの科目も読む量は留学生にとってはかなり多く、まともにゆっくり考えながら読む暇はない。速読が要求されるのだ。
又書くことは、エッセイが課題となることがほとんど(試験も記述が多い。)なので、読むことの次に必要だ。
英語の4つのスキルがどれも優れていることにこしたことはないが、(生活や仕事をする上では話す、聞くは、書く、読むよりずっと価値が高いであろう。)、大学で勉強する上では、とにかく読むことの能力をあらかじめ鍛えていたほうが良いと思う。
大学の授業について、かなりネガティブな文章になったが、私の大学生活で求められている英語のスキルはこんな感じだ。
専攻は?
以前、コロンビア大学付属の語学学校(エッセイ試験でレベル10段階のうち10をパスしないと留学生は大学の授業を半分しか取れずこのESLに通い続けなければいけないようになっている。)で一緒だった、ヨーロッパ女性と久々にキャンパス内で偶然会った。
彼女は授業中よく発言し、成績に対してかなり神経質な感じの女性だなという印象をもっていた。
私に専攻は?と聞いてきた。「英文学」。少し間があり、「いいね」と一言。「君は?」と聞きかえす。「経済。」
彼女らしい専攻だなと勝手に納得。「今何取っているの?」と彼女。「英文学3つとあと宗教1つ。」と答えると、又少し間があり、「クールだね。」と一言。それしかコメントしようがないかなと直ぐ又納得。
実用的な専攻の典型科目の一つ、「経済」と、実用的でない典型科目の一つ、「英文学」。極めつけは「宗教」。
あなたの人生にとって、意味があるのはどっち!?
人材派遣会社登録って意味ある?
卒業前、日系無料新聞に載っている人材派遣会社情報をみて、いくつかオンライン上で登録してみた。
その後、いくつか電話があり、私の状況を詳しく聞いてきた。中にはわざわざ日本から電話をしてきてくれた会社も。
一つの会社は私自身興味本位という意味もあり、マンハッタンのオフィスを一回訪れてみた。
色々ビザの話など参考になることもあるが、自分の状況を企業での就職を斡旋する会社に真面目に説明するのもある意味馬鹿馬鹿しい気持ちもある。
とにかくこれまでこのような会社は、一回電話があるものの、それっきりで具体的な個人に向けての仕事紹介は皆無で、定期的に一般仕事情報を自動メールで送ってくるだけ。
そして先日も1つの斡旋会社からテルがあった。その会社はネイティブを使ってインタビューもしてくれた。
ここも形だけのものと思っていたのだが、数日後、自動車パーツの営業の仕事を紹介してくれた。ビザもサポートありで、ポジションもあがっていくという。興味があれば履歴書を送りますがといってくれた。
自動車のセールスはさすがに縁が全くない職業であり断ったが、実際紹介の電話をしてくれたので驚きであった。
何はともあれ、金はかかっていないことなので、有り難い。
TOEICチャレンジ渡米後3度目
1回目は2004年7月17日、2回目は同ページ上記の通り2006年11月11日。そして今回、2007年9月15日。
最初の2回と異なるのは、新TOEICテストになったことだ。
アメリカでは日本より一足遅れて、今年の初め前後から新TOEICテストがスタートしたようだ。
ニューヨークには受験地が2つあり、今回は1回目と同様グランドセントラル駅の近くのビルが試験場。
そのビルは今年の7月18日にパイプ破裂で世界的ニュースになった場所のすぐ近くで、現場はまだ工事中で柵が周りを囲っている。
工事のため、少々迷い試験開始の1時15分前に到着。
この受験地は日本人のスタッフがコントロールしているようで、入るなり「こんにちは」と中年日本人女性に声をかけられ、登録を済ます。
教室には20人くらいであろうか、見たところほぼ日本人の若者達がすでに着席している。
1人、私より明らかに年輩の男性がいた。
そしてすぐに開始。
2時間、思った以上に落ち着いてのぞめ、時間内に全て記入できた。
さてさて結果は。2週間以内に通知。
日本では英語を教える仕事で要求されるTOEICのような英語資格試験スコアもジリジリ上がってきたように見受けられる。実際教える能力を判断する場合、そのようなスコアはごく一部と思われ、他の大事な要素はまだ沢山あるはず。又本当の意味での英語力をはかる試験を創りあげることは至難の業ではなかろうか。
ちなみに既存の英語試験では、高得点をとってもろくにしゃべれないという矛盾がでてくるのは否定できない。
まあとりあえず、TOEICは日本ではとても有名な試験である。
試験後5日経ち、結果早々郵送。
結果は10点アップ。トホホ。まだまだ。