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2008年版


2008年7月12日(土)
TOEIC6回目 無事終了

今回は前もって登録できず、当日キャンセル待ちで4回目受けた場所へ行ってみた。
娘を再び、妻の友人に頼んでの状況。申し訳ないの度は越している。
実際はキャンセル待ちというより、「郵便為替を持ってきていれば受けられるよ。」とすんなり許可してもらい、少し拍子抜け。
もちろん、その為替は用意している。
そして今回は正々堂々と(苦笑 )、真っ向勝負。
ただ、リスニング中、後ろでスタッフが会話するのが聞こえるなどで、回答に多少影響を与えられたのは勘弁してという感じ。
その辺り、もう少し高い意識を持って対応して欲しいところ。
とりあえずベストは尽くした。

2008年6月23日(月)
TOEFL5回目のその後
試験日、早速ETSに連絡を入れるが、対応できる人間がおらず、メールと電話で本日再度連絡をいれる。
結果、試験ハンドブックのような冊子がETSのTOEICのオンラインにあり、そこには試験問題を先行してはいけない、テキストに書き込んではいけないとはっきり書かれてあった。
時間コントロールが異常に要求されるTOEICのようなテストでは、このような細則はもっと大っぴらにうたって欲しいものだが、書かれてあっては仕方がない。
しかも、毎回試験用紙にサインする上で、その細則を把握したものとすると書いてある。
ただ、この一連の出来事で、今月の試験を台無しにしてしまった状況はされた状況でもあるわけだろとばかりに、今回のリスニングの不備やスタッフの態度をETSに対して指摘するが、「今回は場合によってはあなたの試験を無効にすることもできるが、リスニングの不備もあり、見逃してあげる。ただまたこのようなことが報告されれば、今後のあなたが試験を受けることを禁止する。」とメールで通達される。
ある意味カンニング扱いだが、まあ仕方が無いか。
今後は正々堂々と勝負!?
とんだハプニング。
試験前は色々な意味で、戦闘状態(少々大げさだが)にもっていくので、今回の一連のハプニングは拍子抜けもいいところであった。まあ良い経験。
そして少し遅れてスコア送付。385点。とほ。
2008年6月21日(土)
TOEIC5回目。。。自主退場!
前回に引き続き、こういうことも又あるのだ。
会場は先週と同じ。
今回は余裕をもって12時半頃到着。
受験者は半分以下になったようで、10人くらいか。
そして1時過ぎスタート。
女性スタッフが試験監督。
まずはリスニング。しかし音がとびプレーヤーの調子が悪い。
そして質問文が聞き取りにくくなった段階で、男性スタッフが現れ、CDを交換。しかしまだ音はとんでいる。
少し設問は戻りはしたが、オイオイここはプレーヤーを即変えるべきところ。少しして音とびはおさまる。
今回は、リスニングの合間にリーディングのグラマーのいくつかにとりかかる方法をとっていた。ある意味、セコさの極致だが、リーディングの時間節約とスコアアップのために、ある問題集に書かれた戦法の一つを使ってみたのだ。
少しして、男性スタッフが再び現れ、私の机のそばに立ちはだかった。そして、リスニングとリーディングは別のセクション。今やるべきでないと小声で注意がはいる。
リスニング中リーディングをやってはいけないなどとの決まりは今まで聞いたことが無かったので、なぜ駄目なのか?と私もピリピリムードで対応。
そして、その後、テキストにチェックを入れたのを見て、今度は女性のスタッフがそれも駄目と又リスニング進行中に注意をしてきた。
どちらも試験を提供する機関で働く人間としては、少しプロ意識が欠けている印象を最初から少々受けていたのだが、そのくせ試験中これらのことには逐一注意をいれてくるあたりにも憤りをおぼえ、又その後もリスニングは続いていたが、この注意で回答をいくつか聞き逃し、それによって聞く注意力がとても散漫になり空欄が連続する。
これでは、今回の目標スコアに致命的なダメージを与えてしまう。
最後までやるか多少迷うが、もう駄目と判断し、リスニングの途中、教室を退場。
女性スタッフは、なぜ?と一言。とホホ。
そして退室後、あの男性スタッフに向かって、「あなたはこの学校の責任者か?」」から始まり、「試験中とめられたが、リスニング中リーディングをやってはいけないというルールがどこにあるか、見せてくれ。」と問いただす。
私も試験の緊張と憤りがまだミックスした状態だったので、態度はかなり悪かったか。
その中年韓国人男性は即興奮状態になり、「TOEICを運営しているETSに連絡しろ。」と彼の名刺を私につきつけ、自分の正しい立場を強調。そして会話にまったくならず、挙句の果てには「この学校から去らなかったら警察を呼ぶぞ!」という展開に。
その後も自分が会話をもとうとしても、自分の態度に相当むかついているらしく、「数えているぞ!(3つ数えるうちに出ないと警察に電話らしい)」などと言ってくる。とホホ。
やむなく、そんなルールがどこにあるかの回答は得られず、その場を出た。
又信じられんことがおきた!まいったまいった。
2008年6月14日(土)
TOEIC5回目。。。キャンセル!

こういうこともあるのだ。
会場は初めてのところで、ニュージャージー州(マンハッタンの左隣)にあり、車で30分弱のところ。
1時開始予定で、娘を再び妻の知り合いにあずかって貰い、12時過ぎに出発。
地図を片手に車を走らせるが、目当てのハイウェイに入れない。来た道を又戻り、やっと見つける。
時間がなくなってきた。
かなりスピードを上げるが、もう間もなく1時。
試験場所に連絡するが、つながらない。
やっとなんとかたどり着き、車を路駐して走る。
韓国系の語学スクールのようで、急いでスタッフに身分証を見せ、教室に。
32人の名前が黒板に。見たところ、半分くらいは日本人の名前が。学生ではるばるニューヨークからやってきたようだ。
日本人学生はどこにでも多くいるものなのかな。
私もその中の一人の日本人、オッサン学生。
気持ちをクールダウンさせようと意識。
もう1時はまわっており、韓国人男性スタッフが、「遅れてきた人のためにもう少し待ってあげてください」と。
トホホ。
そして間もなくスタート。
今回はリスニング中の合間にリーディングの文法セクションに手をつける作戦だったので、早速実行。
全くお宅の世界である。
そして絵のリスニングがスタート。
しょっぱなからいきなりどれかわからず、あれちょっと違うのではと疑問。そして2問目。あきらかにCDと問題冊子はマッチしていないことがクリアに。
教室内に一気にどよめきがおこる。
早速一人の生徒が外へでてクレーム。
他のCDを使うが一緒。
私はその間も、文法セクションにせっせと取りかかっていた。
スタッフから中断の指摘が。
一時やめるが、再スタートの気配がしたので、再び文法セクションに目をやる。
再び中断の指摘。
時間との勝負であり、一旦スタートが切られたら、そう易々とは止まらないというもの。
そして、テスト冊子は回収。
なにやら、スタッフは電話をしている。
一人の日本人と思われる女性生徒が、つかつかと外にでていき、今の状況を説明するべきと。
西洋人ののりに合わせようと、ついついいきりたってしまう日本人留学生の性質を少し感じる。英語は中々流暢にしゃべっている。
私自身、ラガーディア時代、いきりたって、授業中積極的に手を挙げようとしていたものだ。
結局、今日の試験は中止で、受験者の選択肢は3つ。
来週の土曜日の同じ時間に再びこの試験会場で。
2つ目は、試験日を変更。
3つ目は、払い戻し。
まいったまいった。
わざわざ、娘をあずかってもらった人には申し訳ない。
遅刻した気分で試験に臨まなくて済んだ点は良かったが、又1週間のびることには少し拍子抜け。
TOEICのスコア取りのために時間を大きく割くことはこの先自分にとって無駄ともいえる。TOEICを通して実際の英語力をアップさせるための意義は自分にとってはもうほとんどない。
他のやるべきことをスタートせねば。
とりあえず、仕切りなおし。
2時すぎ、帰宅。
来週再トライ。

2008年5月17日(土)
TOEIC渡米後4回目の結果郵送

去年の9月に3回目を受け、丁度8ヶ月。
英検の勉強をはさみ、TOEIC4回目。
それなりのスコアアップを期待していたが、再び10点アップのみ。
特に英検パス後、TOEICお勉強は生活のかなりの部分を占めていたので、自分のやった分のことを思うと10点アップは解せない。情けナーの一言につきる。
ちなみに前回も10点アップでとどまった。(前回については「留学生活」のページにて)
とりあえず、帰国までに今後はTOEFLと共に数を打つ予定。2発ずつ位打ちたいところだが、実際状況的に難しいか。
日本語教育能力試験のお勉強にも手をだしたいところだが、今回の落とし前は近いうちつけさせてもらう。
なーんて。
しかし期待が大きかった分、結構へこんだのは事実。
今後さらなる精進。全てにおいて。

2008年3月3日(月)
英検2次パス

夜中1時。
日本時間では昼3時に英検のウェブサイトで2次の合否発表が見れる。
1次の時もウェブサイトで結果を知ったが、発表延期やアクセス集中で、かなり待たされた。
今回は!?
夜中1時過ぎ、1発で結果が現れた。
画面が現れる直前は結構ドキドキ。
「合格」
フー。やっと。
採点は思ったより厳しいなというのが感想。
さて次はTOEIC。
資格試験お宅になりつつある。(苦笑)
とりあえず、嬉しい。

2008年2月24日(日)
さてさて英検2次面接



午後2時。

バイトの合間をぬって、タイミングの良い時間帯からスタート。
場所は車で10分くらいの高速道路沿いにあるドライブインホテル。上の写真がそのホテル。
1時過ぎ、早めに到着すると、もうすでに日本人親子連れが多く見受けられる。
もちろん受験者は小学生低学年から中学生までの子供である。
ホテル内では待ち合わせ室にて面接カードの記入を求められる。
級ごとに受付を済ませたあと、番号札が配られ、呼び出しがかかるまで待つ。
受付で並んでいると、自分の名前を呼ぶおばさんがいる。
振り返ると、バイト先の生徒の母親。
1次試験でも出会ったおばさん。
軽く挨拶。
「私じゃなくて子供。」と話しかけてくれた。
私と同じ級の1次をパスしたその子供さんとは、小6の女の子!
見たところ、私のようなおじさんは他には見当たらない。
受験者の父兄としては溶け込める存在でもあるので、まだ救われるが、受験者としてはやはり小中学生の中のおじさん1人であり、居心地は悪い。
そして受付でもらった番号は2番。前の1番をとった女性は大学生くらいかな。留学ついでだろう。受験者では彼女のような大学生はちらほらという程度であった。
そして呼び出しを待っていると、中学3年生の又これバイト先の男子生徒が2級の面接を受けに来たようで、私の前に座り挨拶。午前中、日本語教えますで、アメリカ人高校生と英語で喋ることで「口や舌の筋肉」(苦笑)をウォームアップをしたつもりでいたので、日本語は面接までシャットアウトしたいところであったが、ここで日本語をボソボソと。とホホ。
そして〜級の2時の受験者のかたと呼び出しがかかる。
おー結構緊張だ。
あの挨拶した父兄の生徒さん小6の女の子と同じグループだ。
そして番号順に並んでその場を去り、ホテル部屋の廊下へ向かう。結構間抜け。(苦笑)
私を含め、3人までが面接部屋の前の椅子に座る。
その目の前の椅子には、2級の面接受験者が10人ほど並ぶ。殆んどが小学生くらい。そこに先ほど話した中3の男子生徒。
彼の頭はその小学生受験者から一つ突き出ており、かなり目立つ。彼もかなり居心地が悪そう。
そしてフト前を見ると、又バイト先の中2女子生徒。
声をかけると、2級面接が次の順番であり、少々引きつり顔で挨拶してくれた。
人事ではない!自分も結構緊張!
1番の女子大生が「May I come in?」といって入る。
おっとこれ必要か!?
10分程度といっていたが、それ以上の印象。
かすかに声が聞こえてくる。又彼女が終わってからも審査のためでか5分以上待つ。
そしていよいよだー!
ノック。
そして穏やかそうなアメリカ人おばさんと、きりっとした事務員といった感じの若い日本人女性が座っている。
全くのシングルベッドルームを面接室にしていた。
ベッドの上に、ジャンパーを置く。
まずは名前を述べ、自己紹介。
これは予想していたことで、準備したとおり、とりあえずペラペラと。
アメリカ人面接官は、色々と忙しいですね。とコメント。
そしていよいよ、目の前の机の上に置いてある裏返された面接カードの黄色い紙を表にし、1分間の準備スタート。
バーッと見て、1つを定めたものの、今ひとつ言うことを組み立てられん。少々あせるが、覚悟を決めるしかない。
選んだトピックは、「日本文化を我々は十分守っていけているか。」
与えられた時間は2分。
若者はどんどんアメリカナイズ。大人が意識的に若者が日本文化を大事に出来るようにヘルプするべきなどのことを表面的にかなりラフな感じの英語で喋り続け、具体例無しのまま、2分を知らせるアラームの音。
しかし、アメリカ人面接官は続けさせてくれた。
具体例としては若者受けを大事にした中村勘三郎氏の歌舞伎舞台を良い手本として挙げて何とか説明。
あなたの言わんとしていることはわかるわ。
あなたに賛成だわ。などアメリカ人面接官。
これは肯定的か否定的か、どちらにとっていいのかわからん。
その後、日本人面接官からはなぜ文化を維持することは大事なのかなどという根本質問。
アイデンティティをもつことは大事なこととだからなどと今ひとつの回答でラフな英語。
そして、アメリカ人面接官からサンキューと終了の合図。
日本人面接官とは軽く会釈で最後は結構あっさりと退室。
そしてとっととそのホテルを退散。
途中 廊下では英検スタッフの女性とすれ違い、お疲れ様でしたと声をかけられ軽くお辞儀。
フー。まあそれなりに練習はしたが、こんなもん。
結果は3月4日オンライン上でと。
はー、どんなもんかな。
しかし、相変わらず、ラフな英語だ。

2008年2月8日(金)
英検1次通過

1次試験後英検のサイトでは日本受験用の解答は載せられていたが、海外用は掲載されていなかった(問題内容は異なるのだ。)ので、電話で問い合わせると、わざわざ日本から電話をかけなおしてくれ口頭で答えを全て教えてくれた。しかし、エッセイの点数がでない限り、予測は難しい。
結果郵送は来週中ということであったが、かなり待ち遠しい。
幸いなことに、英検サイトで8日の日本時間昼3時に1次合否結果掲載とでていたので、待ち構える。
アメリカ時間では夜中の1時。いつも寝る時間であり丁度良い。
しかし延長で2時間後と。アメリカ時間夜中3時か。
とりあえず待ち、いざアクセス。
しかしアクセス集中でつながらず。
中々結果を見せてもらえない。トホホ。
1時間トライしたがだめで、又英検に問い合わせるが、電話では結果の問い合わせは受けられないので、もう少し待って再びアクセスを。申し訳ありませんと丁寧な対応。
とはいえ、こちらは夜中で、しかも中々気になる状況。
一寝入りして早朝又インターネットアクセストライ。
やっと成功。
1次合格。
詳細を見ると、どのセクションもあまり満足のいく出来ではなかったが、(エッセイはとても悲観的に見ていたが、案外高得点?)とりあえずホッとした。
今回の英検の勉強はTOEICよりタフであり、試験自体も又タフでおじさん受験者としては後半かなり息切れ状態であった。
次回は2次試験が今月24日にひかえている。
流暢に話す中学生でも2次は落とされている例をバイト先から聞いている。さて2次は。
とりあえず、英検合格は日本での今後の生活!?に役立つことを願う。・
妻、娘の協力に感謝。

2008年1月26日(土)
英検初トライ

上の写真は英検試験会場となったビル。
マンハッタンから車で10分くらいの、ある大学のキャンパス内のビル。
ここ数ヶ月間、毎日ちょこちょこ勉強してきたため、そしてこのテストの為に娘を妻の友人にあずけなければならなかったためなどが影響してか、かなり気合が入っていた。
さらに、試験場は子供が大部分を占めバイト先の生徒とも顔を合わす可能性大であったので、それなりのプレッシャーとなり緊張感をあおっていた。
案の定、親子連れ日本人がわんさかおり、私がトライする級にも小学低学年くらいの子供がいた。教室は級ごとに割り当てられ、私の教室は中学生女子が大半を占めている感じであった。
幸いにも私のようなおじさん受験者は他に数人見受けられ、皆学者肌に見受けられた。(私は除かれるが。)無意識的に、おじさん達は近くに座っていた。(苦笑)
さらに幸いなことに!?私が着席していた教室も受験者で埋まり始め、バイト先の生徒さんと顔を合わすこともなかったため、ホッとしていた。
しかしそんな矢先である!
ふっと隣の席に座った女の子を見ると、なんとバイト先で英検を教えたことのある生徒が!!!!
他の何人かの受験者と同じく、親同伴で現れ、試験の持ち物確認などをされている。
一瞬顔を背け、バレナケレバいいがと願う。(苦笑)
とりあえず、試験に影響してはいかんと、声をかけることはやめ、しらばくれる。
昼1時半。試験開始。
おじさん受験者らしく、時間配分も綿密に計画していたのだが、最後のリーディング問題が読み取りづらく苦戦。そのため、エッセイに書ける時間が予定の半分になり急いで書き上げることに。
後半のリスニングでは、暖房のせいも多少あるが、頭が疲れてしまい、何とかゴールまでいった感じであった。年だな〜。
試験も終わり退室の際、隣のバイト先の小学生女子と自然と目が合い、少し会話。とほほ。
そして帰り際には、他の顔見知りの生徒の母親から声をかけられた。
トホホ。
とりあえず、頭は使い尽くした感じで、しばらくボーっとしていた。
娘よ。お疲れ様。
2008年1月24日(木)
車故障 ついにクレーム爆発
再び朝電話をして、日系中古屋のおじさんに状況を話す。相変わらず、無責任な対応で今日も朝一は無理で、午後寄ってくれてと言う。
クレーム準備完了。
再び娘を連れて、車を上に吊るして見てもらう。
外れたベルトが原因か、タンクに傷がついており、そこから液が漏れていることが判明。
修理に又400ドルかかる。そして今日はこれから忙しいので、再修理は明日完了するとのこと。
その後私はこれまでの不満を一部始終はきだしてしまった。
彼は比較的黙って聞いていたが、最初直した時点ではタンクはもれておらず気づくことは出来なかったと自己弁護。
とにかく金を払い、大丈夫ですと言っておきながら、即日問題がおきるのは言い訳の余地無しで、これ以上こちらが払う筋合いはなく、大至急直すべきと主張した。
するとじゃあ部品代150ドルだけでいいですと。
それ以上の要求ならば、もらった金は全て払い戻しし、又元通り壊れたままの状態に戻しお返ししますとの対応。
結局、修理は今日中6時までに。そしてその間代車を貸し、又さらなる支払い150ドルは修理後様子をみてからということになった。
そしてその日、7時過ぎ、家まで車を届けてもらった。
150ドルであとはサービスでとの又無神経な発言。
このおじさんも悪気はないのであろうが、常識と気遣いに対して割と無頓着な感じを受ける。
とりあえず修理完了。その後も今のところ問題なし。
フー疲れた。
とりあえず、この日系中古屋さんを訪れることはもうないであろう。
2008年1月23日(水)
車故障
朝、中古屋のおじさんから電話を受ける。
朝一に見てもらうことはできず、昼に車を持っていく。
お金も払い、大丈夫ですと言われ、即日又調子がおかしくなった状況にしては、おじさんの人事のような多少無責任な態度に少々違和感を覚えるが、ここはまだ我慢どころ。
タンク内の液体に空気が入っていたせいとかで、液をたしてもらいハンドルを動かしているとスムーズになってきてひとまずオーケイ。
そして夜運転中、又ハンドルが重くなり又車の下から液体が漏れ始めた。その上走行中、妙な音がする。
問い合わせると、まだ空気が入っているのかもと。
結局はっきりした対応はしてもらえず、様子をみることに。
そろそろ、我慢するのがつらくなってきた。
2008年1月22日(火)
車故障
昼過ぎ修理完了とのことで、夕方娘とバスに乗って車を取りにいく。
結局600ドル弱の請求。チェックで支払い。フー。
1998年のアメ車。2年半近く特に問題なく走ってくれたことに感謝するべし。このくらいの出費はある意味ラッキーかも。
しかし、これで車が復活したわけではなかった。
夜、英語教えます仕事を終え、車を動かそうとすると、又以前のようにハンドルが非常に重い。
何?!
とりあえず帰宅し、日系中古屋にメッセージを残す。
何だ直っていないのか。
2008年1月21日(月)
車故障
1月19日故障。そして今朝、レッカーで日系の中古車屋へ持っていってもらった。
レッカー代60ドル。
その後状況を聞いてみると、部品がそろわず明日修理が完了するという。
費用は500ドルをちょっと超えると。
仕方がない。車がないと生活する上での移動手段に大きな影響がでる。車社会のアメリカ。日本で車がないのとは少し状況が異なるのだ。
今日は日本語教えます、そして帰国生塾のバイトがあり、労働時間は数時間のみにもかかわらず、車が使えない為、バス、地下鉄、電車を利用して、丸1日外出となった。いうまでもなく車のありがたさを実感。
ちなみに、マンハッタンの北に位置するバイト先は車であれば30分で行けるが、バス、地下鉄、電車を利用すると遠回りを余儀なくされ2時間半近くかかってしまう。その日、帰宅は夜11時。
2008年1月7日(月)
車タイヤ交換
車を買った日系の中古屋さんでは、タイヤ1本買って取り付けて130ドル(約14000円)くらいと聞いていた。2本交換の必要有りで計260ドル位かかることになる。
妻の友人が実際タイヤを交換した韓国系卸しタイヤ屋に行ってみた。1本あたり取り付け含め78ドル。約半額。
早速取り付けてもらう。
若い韓国人男性が私に韓国語で話しかけお辞儀をしてくる。韓国語は話せませんと英語で伝えると、ソーリーと英語にサッと切り替え、綺麗な英語で説明してくれた。アメリカ生まれの若者であろう。
妻とは韓国語で私に向かっては英語で話してくれるのだ。
完璧に2言語を操っているので、羨ましい。
30分ほどで取り付け完了。走行はタイヤの食いつきがよく車無知の私でも安定感は察知できた。
今月出費多し。

2007年版


アメリカの日本人店員

ひとこと「アメリカの日本人店員」といっても色々なタイプがいることは言うまでもない。
客に対してサービス意識が全く無い一部のアメリカ人店員を真似て無愛想に接客することを良しとしてしまう、いわば表面的にアメリカナイズされた若者日本人店員もいれば、日本の接客態度をそのままアメリカに持ってきている若者日本人店員もいる。
今回は後者の例を2つほど。
先日、ある日本スーパーで買ったせんべいが全て湿気ていたので、その商品を持って日本人店員にクレームをしてみた。アメリカのスーパーであれば、レシートの有無にかかわらず即返金で事を済ませてしまう場合が多いが、この辺はさすが日本のスーパー。
まずその若い日本人男性店員は、せんべいが入った袋を1枚開けて実際その場で食べる。そして「確かに湿気ていますね。レシートはお持ちですか?」と聞いてくる。「持っていないんですけど。」と私。「あっそうですかー。」と間をおかれる。そして「少々お待ちください。」とどこかへ消えてゆく。数分して、お金とレシートを持ってきて、「これはうちの商品だと思います。申し訳ありませんでした。」と返金してくれた。そして「ちなみにいつ頃ご購入されましたか?」と聞いてくる。「おとといです。」と私。「このせんべいは全て回収いたしましたので、どうも申し訳ありませんでした。」と又謝ってくる。
これだけの段階をふまれると、たかだかせんべいで自分自身の行動がやたらせこく感じる。
このようなことは日本では比較的当たり前の状況といえると思うが、アメリカの生活に慣れると、こんなに丁寧な段階をふまなくても直ぐ返金してくれればいいのになーと思ってしまう。
もう一つは、日系のパン屋でシュークリームを買ったときのこと。前の客で少し待たされた私にユニホームを着た日本人女性店員が笑顔で一言。「Thank you for waiting.(お待たせしました)」。
アメリカナイズされた日本人若者店員が多い中、珍しく丁寧だなと感じる。シュークリームが袋に詰められ、私がお金を財布からだしていると、その日本人店員は2つの手のひらをお腹の下に交差させ、とても丁寧な待つ姿勢を私に見せた。お金を受け取る時も両手で丁寧に受け取ってくれた。この動作はさすがに大げさに感じ少し滑稽であった。
アメリカであれば店員によっては、さっと奪い取るように紙幣をつかむものもいる。
そして彼女は最後に一言付けくわえてくれた。「Thank you very much.Enjoy.」と。造り笑顔は日本のマクドナルドにも負けない。
日本における店員の接客態度は一般的にとても丁寧であることは間違いないが、もう少し自然さが欲しい。・


アメリカナイズされた子供達

日本人駐在員の子供達を見ていると、数年アメリカに滞在しただけで(滞在すればのほうがふさわしいかもしれない)、言動はバッチリアメリカナイズされる子が多いようだ。
アメリカナイズという言葉自体アメリカの外から評価する言葉で一方的ともいえるが、それなりに日本の外の文化には慣れている私とはいえ、こてこての日本教育を受けてきた典型日本人である。
ここでは典型的日本人(私)から見た、「アメリカナイズ」された日本人子供の典型例をいくつかあげてみたい。
まず、大人に対して敬語を使えない、使わない子が多い。なおかつ、教わる上で自分がわからなくても「わからない」という言葉はまず発しない。そして、こちらも話していることに注意していないと、「でも先生は、先こう言った。」などと突っ込みを入れてくる子も結構多い。普通の会話でも、人と反対の意見を言うことにはとても慣れている。
自己主張のプロといえるアメリカ人生徒を間近に見ているので、このようなハキハキしている面は見ていて頼もしいが、反面生意気だなと少しムカッとする時も正直ある。
又、クラスが終わるとサッと片付ける用意をしたり、又人に紙(提出物など)を手渡すときは無造作に机の上にパッとおいたり、紙を人から取るときもパッと取りあげるように(こてこての日本人の感覚からいうと)手をひく子もいる。(このような動作はこちらでは珍しくない。)
そして、テストなどではパッパッパとやってしまい、終わると、終わりましたムードを表にだしまくる(上体をあげ、リラックス状態などなど)子も多い。(これもアメリカ人生徒と同じ。)
実際はこのようなアメリカナイズされた言動や先にあげた日本人的な言動などは、文化の違いということでさっさと片付けてしまうのが賢明であろう。比べて良し悪しを決めるのは無意味である。
教育で子供に教える大事なことの一つとして「他人への真の思いやり」があげられると思うが、アメリカや日本の教育ではこの人間として最も大切な要素を、ちゃんと教えているのか。疑問である。
知識を提供するだけでは、意味がない。(話が少しそれてしまった。)


駐在員の子供達にとっての日本の勉強

日本の中学、高校の学習内容をみていると、本当の意味で学ぶ価値のあるものは非常に少ない。試験の為の勉強という意味で、学ぶ価値のあるものも歪められ無意味になっているような気がする。
知識を得ることは、人間性を高めることとはある種別物であり、その別物が学ぶ価値の無いものとなってはどうしようもない。
日本では今ゆとり教育の見直しなどを行っているらしいが、教育とは本来どうあるべきかというもっと根本的な問題について真剣に見直すべきではないだろうか。知識はあくまでも人間性を高める上で利用するものでしかないはずだ。
しかし、物質主義社会に支配されている限り、本当の意味での教育改革は望めないであろう。
アメリカで伸び伸びと育っている日本人駐在員の子供達も、学歴に絶対的な価値をおいている親の敷いたレールに乗っかって、次々と帰国していく。
物質主義社会に学歴社会。そして科学技術の絶え間ない進歩。
子供達は人間性をどこで磨いていけばよいのだろう。


日本人中高生の英語力

先日、日本の記事にこんなのが載っていた。
「「英語を使える日本人」育成に向けた文部科学省の行動計画4年目となった今年度、実用英語技能検定(英検)準2級程度以上の英語力を身に付けた高校3年生は全体の27.8%、英検3級程度以上の中学3年生は同33.7%にとどまり、計画の目標(卒業生の4〜6割程度)をかなり下回っていることが2日、同省の初めての全国調査で分かった。
 教師でも、計画がほぼ全員に求めている英検準1級以上、英語能力試験「TOEIC」730点以上などの目標をクリアした人は、中学で24.8%、高校で48.4%。来年度は計画最終年度だが、同省国際教育課は「全体的に水準が低い。少人数学習などで底上げを図り、教師にはより自己研さんを積んでほしい」としている。」
時事通信社より抜粋(2007年3月2日付け)
正直、あまりの低さにびっくりした。
ちなみにこちらの日本人駐在員の子供の英語力は(以前も述べたが)、1年もいれば英検2級は中1でパス。4〜5年いて少し英検の為の勉強をすれば、中3で英検準1級にほぼ近いレベル(数点足りなくパスできない子が多い)。6年〜10年いる子は、中2や中3で英検1級をパスできる生徒もいる。(あくまでも私のバイト先での生徒を数年見てきての話であるが)。
実践で学ぶ英語と、日本国内で提供される英語の授業を比べるのも無理はあるが、もう少し方法を考えたいものだ。
ところで文部科学省でこの計画をたてた人は、英語がしゃべれるのであろうか。


アメリカの本屋の青年

日本語教えます広告を貼る為の掲示板があるか聞くために、アメリカの大手本屋チェーンを訪れる。
英語で書いた広告を見せながら、レジの青年に聞く。
すると、「僕がこれは欲しいよ。」とその広告の私の電話番号が書かれた紙の切れ端をさっと破り自分のものにする。
中々しゃれっ気のある西洋人らしいのり。
ここに掲示板はないけど、そのような広告を載せられるWEBサイトがあると紙にそのアドレスを書いて教えてくれた。
そして近くのスターバックスに掲示板があるよとも教えてくれた。
確かに掲示板はあったが、店の女の子に聞くと、営利目的は駄目とのことで断られた。
帰宅後、早速そのWEBサイトで広告掲示。
今現在1人の生徒。もう2人くらい教えられればいいのだが。トライトライ。


2006年版


歯は日本でしっかり治しましょう

アメリカは歯の治療技術が高く又それ以上に費用が莫大に高いのは有名であるが、ここでは私のアメリカでの歯の治療体験を紹介してみようと思う。
コロンビア大学生は自動的にアメリカの大手の保険会社に加入することになっているのだが、海外旅行障害保険と同様、歯の治療はカバーされていない。私は1年半前に日本に一時帰国した際、歯の点検をして異常はなしと言われていたのだが、去年の11月末、かなり激しい歯痛の為、コロンビア大学提携の歯医者へやむなく向かった。
レゲー風の感じの良さそうな黒人男性が迎えてくれた。彼が医者?彼はアシスタントであり、状況を聞いてくれ、インド系の女性ドクターにバトンタッチ。ちなみに日本でレゲー風のアシスタントはまずありえないであろう。
そしてドクターに状況を再び詳しくトーク。そしてチェック。相当大きな虫歯で、大仕事だという。そして、会計の係の人間がどれくらい費用がかかるか、料金リストを見せてくれる。合計1450ドル。何!思わず絶句。飛行機代を含めても日本で直したほうが安いではないか。
その日は応急処置で(緊急で診てもらった為)、次回のアポイントメントは2月7日。初診から3ヶ月後である。それだけ混んでいるという。痛くなったら、痛み止めを飲み、我慢できなくなたら、又緊急で診てあげるという。
その後、値段について再び受付に聞くと、この値段はとても安くしたもの。普通の歯医者に行けば、倍以上かかると言う。うそだと思ったら、そこらじゅうの歯医者に電話してみてと自信満々だ。妻の仕事先のお客さんが歯医者でその料金リストを見せたのだが、やはりかなり安いという。しょうがない。
そして今年に入り、痛みがきた時は薬を飲みまぎらわし、結局3月の10日に2度目の治療。(学校のクラスの為予約変更)そして今度はアジア系の女性のお医者さん。医者が変わるのは珍しくないらしい。そして1時間半、口を開けっ放しで。削ったりレントゲン撮ったり薬を塗ったり色々なことをされる。
治療が終わり口を閉じるときは麻酔もまだ効いており顎がかなりがくがくで疲れていた。そしてついでに他の虫歯がないか調べてもらう。他は全てグッドらしい。とりあえず一安心。
その後、受付で次のアポイントメント。5月19日。これが一番早いという。あと、6回ほど来ないと駄目と言っていたので、完全に治療が終わるのは来年か?そして今日の診察代、しめて248ドル。日本円で約3万円である。恐ろしい。腕は当然確かでなくては困る。


マンハッタンの日系スーパーで昼食

マンハッタンの5番街とマジソン街の間、41丁目にある日系スーパーで昼食をとった時のこと。
ここはうどん、どんぶり物、定食、寿司などが注文できるようになっており、普段の昼食時は多くの外国人も近くのオフィスからやってきてとても混雑する。私はもう4年近くこちらへ住んでいるが、ここで食事をとるのは初めてであった。両親と一緒(今年の5月遊びに来たのだ。)で5番街を歩く前に昼食をとることにになったのだが、値段は日本円で500円くらいで手頃。うどん、カツカレー(カツは別に買う)、かつ丼を注文。
ちなみに私はかつ丼を食べたが、思ったより味は良く満足。カレーはやはりポンカレーか。うどんはまあまあといった感じ。
全体的には値段の割には味もよく、手軽な日本食を味わう場所としては思ったよりグッドであった。


グランド・ゼロ(ワールド・トレード・センター跡地)

写真:フェンスの向こう側が貿易センター跡地。フェンスにはビルの歴史、事件当時の様子、犠牲者の名前等が掲げられている。この辺りは観光客が途絶えない。

私自身ここを訪れるのはこれで3回目。
初めて訪れたのは2002年の11月でこちらで学生生活をスタートした直後であった。その当時はまだ9.11.から1年ちょっとしか経っていなかったせいか、異様な重い雰囲気が漂っていたのを今でも覚えている。
今回訪れた時はそのような空気はあまり感じられなかったが、柵の中は相変わらず工事現場のままであった。しかし地下へ降りる階段ができており降りてみると、そこは駅となっており色々な場所(マンハッタンの他の駅、隣の州ニュージャージー等)へアクセスできるようになっていた。去年の夏訪れた時はまだこのような場所はできていなかった。着々と再建は進んでいるようだ。
観光客はやはり絶えないようで、主な観光スポットの一つとなっているのは間違いないようだ。写真やビデオを撮ったりするのはいつ来ても気が引ける。


メトロポリタン美術館

写真:メトロポリタン美術館は閑静な高級住宅街のはずれに位置しており、セントラルパークにも隣接している。建物の中央が正面入り口。この辺りはいつも観光客で賑わっている。建物の裏はもうセントラルパークだ。

こちらもニューヨークの数ある観光スポットの中で有名な場所である。
無料の日本語ツアーが週3回火水金と朝11時15分から1時間行われると前もって電話で聞いていたのだが、(以前受付に電話をまわしてもらい日本語ツアーについて聞いていると、日本人の女性が電話をとってくれ親切に説明してくれたのだ。)我々の行動パターン(両親が今年の5月に観光で訪れた。)としては少し時間的に早すぎたので、これは諦めた。
3時頃到着し、正門の前、館内ととても混んでいる。チケット売り場で私が学生証を見せると学生はフリーと言われる。ラッキー。両親は60歳以上でありシニア料金。閉館の5時半まで約2時間。
フロアーは地下もあるようだがメインは1階と2階。我々はとりあえず正面の階段を上がる。2階に上がるとすぐにアジア系の皿などが展示されているのが目に入り、見て回る。このあたり一帯は中国、東南アジア美術のセクションだ。大きな仏像から壁画まで数多くのコレクションが並んでいる。地図によれば2階の一隅にすぎないのだが、次から次へと部屋が分かれ、、聞いてはいたがこの美術館の広さには改めてびっくりだ。
このセクションを一通りザーっとみてもう1時間半が経ってしまった。ちなみに日本のセクションは閉まっていた。改装中のようだ。
両親はギフトを買う時間も必要ということだったので、残り時間もわずかとなり、ヨーロッパ絵画のセクションに急ぐ。ゴーギャン、ゴッホ、モネ、ルノワールなど、絵心の全く無い私でも知っている超有名人アーティストの作品が勢ぞろい。私はとりあえず、ビデオをまわす。ノーカメラ!とつかさずガードマンの女性が注意をしにきた。撮れた場所もあったので、とりあえず見つかったら注意をうける感じだ。カメラもノーフラッシュ!という声が時々聞こえてくる。フラッシュはわかるが、なぜビデオはだめなのか!?このセクションはさすが人気のようで人がいっぱいいる。
そして最後ギフトショップを見て、5時半閉館。
まだ外は日が照っており、隣接するセントラル・パークへ入り、西へと横断。緑も多く、乳母車を押す主婦たちが歩きとてものどか。我々は広場の前のベンチでしばし休憩。2時間といえどもかなり歩いた感じで少しぐったり。学生はフリーであるのでこちらへ滞在中に全て見ておいても損はないか。


国連本部

写真:ニュースでよく報道されているおなじみの建物。

こちらも無料の日本語ツアーがあることを事前に国連のサイトで調べていたので、朝10時頃電話をする。日本語ツアーは当日午前中に電話をして予約できるが、やっている時とやっていない時があるということであった。今日は運良く2時に予約。電話口の受付は明らかに英語が第2ヶ国語の人間であるようだ。国連ならではかな。
そして両親と共(今年の5月観光で遊びに来た。)に国連の最寄の駅、グランド・セントラル駅へ向かう。そこから東へ歩いて15分。入り口はどこかな。観光バスがいくつか止まっており、又人の出入りが激しいので、入り口は一目でわかった。門を入ると、訪問者入り口の表示が見える。
その建物に入ると、空港並みの厳重なセキュリティーチェックが待っていた。ベルトも腰からはずし金属探知機のゲートをくぐり、かばんは又別のところで預け、無事中へ。
ツアーデスクはどこだ?もう2時を少し過ぎている。インフォメーションデスクで聞くと、もう始まっているらしく、早く入場料を支払ってと言ってきた。支払いの列はかなり長かったが、係員が先にまわしてくれた。スタッフはさすが国連か、国籍がさまざまなようである。
メトロ美術館では学生証を見せ無料になったので、こちらでも「学生ですけど」、とたずねてみる。学生でも30歳以上は大人料金とスパッと言われ、11ドル50セント。トホホ。両親はシニア料金、8ドル50セント。
そしてもう先に進んでいる日本人ツアーグループの所まで連れていってもらった。6〜7人の日本人ツアー客。中高年の男性、女性、そして一人大学生風。
案内係は苗字が日本人であったが、名前はジュリア。カリフォルニア出身という女性であった。(日系アメリカ人かな)日本語はたどたどしくつっかえつっかえであったが、一所懸命丁寧に正確に話そうとしてくれていた。国連の役割やいくつかの会議場の説明など、難しい用語を使わなければならないので大変だ。
その他、世界の貧困の状況、広島原爆の凄さを物語る溶けたコインや焦げた銅像、又ホール内に飾られている絵(レーガンの奥さんが贈呈)や芸術品の説明も行われた。
レーガンの奥さんが贈呈した絵には英語で「自分がしてもらいたいことを他人にもしてあげなさい。」という言葉が書かれ、これには感銘を受けた。
何か質問はありませんか?とその都度ガイドさんはたずねるが殆ど質問はなし。皆彼女の日本語をうなずきながら優しく聞いている。私はビデオをちょこちょこまわしていた。そして丁度1時間が経過。地下のギフトショップで解散。ギフトショップの店員も色々な国の出身のようだ。良い経験をした。


コロンビア大学・リバーサイド教会

写真:コロンビア大学キャンパス内から撮った写真。中央左に見えるのがリバーサイド教会。

この2つのスポットは日本のガイドに、モーニングサイド・ハイツの見所として掲載されている。
今年の5月18日に訪れた(両親が観光で訪れた。)のだが、その日コロンビア大学では法律スクールの卒業式をやっていた。笑いが時々おこり、雰囲気は希望に満ちあふれている感じであった。皆卒業式のための制服であるスカイブルーのマントと博士のような帽子をかぶっている。私もうまくいけば、来年の丁度今頃、この制服を着ているはずである。20ちょっと過ぎの生徒達に囲まれながらのオッサンの大学卒業式にもなるわけだ。
キャンパス内を一通り見て周り、普段使っているスポーツジムも両親に案内した。こちらは学生証を見せて、彼らは両親で中を案内したいと言ったらすんなりオーケーであったが、大学内で一番大きいビルである図書館内では、黒人のガードマンがパスが必要とか何とかで中々オーケーしてくれない。彼ら(両親)ははるばる日本からやってきた、10分やそこら、中を案内するだけなんだからいいでしょう?と私が少し食い下がると、ついにオーケーをだしてくれた。
その後、大学に隣接している本屋内のコロンビア大学のためのギフトショップで両親はお土産を買う。父はショットグラス、母はトレーナーパンツ。どちらもColumbia University とマークがはいっている。この店には大学名が入った服(Tシャツ、ヨットパーカー、そしてパンツなど)が色々おいてあるが、試着室は無い為、母は影に隠れて色々サイズを試していた。
そして前のスターバックスで一休み。その後、5分程歩いて、リバーサイド教会へ。
日本のガイドには展望台から絶景が見渡せるとのことだったので、中へ入ってみる。黒人のガードマンが座っており聞いてみると、今は展望台はクローズでいつ又オープンするかはわからないとのことであった。がっかり。
ちなみにコロンビア大学から見るこの教会は青空に真っ直ぐ高くそびえているので、とても綺麗である。
そして再び5分程歩き、グラント将軍の墓を見て、森の中を西へ10分程かけて下りマンハッタンの西の端にたどり着き、そこからハドソン川と我がアパートがあるニュージャージー州を眺め、帰途についた。
コロンビア大学を訪れ記念写真を撮っている旅行客はよく見かけるので、この近辺もニューヨーク観光人気のスポットの一つといえるであろう。


ベア・マウンテン

写真:ベアマウンテン頂上の風景。ご覧の通り、緑のじゅうたんだ。風が強い強い。

マンハッタンから車で北へ1時間半ほど走ったところにベア山があるのだが、新緑が見事で景色も見ごたえがあった(今年の5月両親と共に訪れた)。
喧騒を離れリラックする場所としては、とてもよい。ハドソン川(マンハッタンの西を流れる川)に沿ってひたすら一本道を北上するのだが、途中食事をする場所が中々見つからない。
我々は昼食をとらずに12時半頃出発したので次第にお腹がへってくる。1時間程走り、やっと見えてきたレストラン。といっても、ウェンディーズやケンタッキーフライドチキンやサブウェイといったファーストフードの店のみ。しかしこの先、何か食べるところが又あるかわからない。ウェンディーズでハンバーガーを食べることに。
天気は変わりやすく不安定。ガソリンスタンドはポツポツあるが、どれもセルフサービス。そして山らしく蛇行する坂道が増え、30分ほどさらに走るとベアマウンテンと書かれた表示が見えた。(その入り口を最初は見逃してしまい又ユーターン。)そこにはタワーは修理の為クローズと書いてある。少しさらに上ると車が何台か駐車されており、小高いタワーが見えた。どうやら頂上到着のようだ。
車をとめ、外へ出る。新緑の木々に囲まれ気分がとても良い。頂上からの景色は又格別で緑がじゅうたんのように敷き詰められており絶景。頂上のせいか風がとても強いのがたまにきず。
我々は娘が乗った乳母車を押しながら新緑の中をしばらく散歩する。ハイキングコースもあるようだ。緑は見ていてとても気分がよい。
マンハッタンからも近く、今度は紅葉を見に又訪れたい場所である。


赤の2階建て、ダブルデッカーのバスでマンハッタン観光

写真:タイムズスクエア周辺では必ず見かける赤の2階建てバス。この2階からの町の眺めは中々気持ちが良い。

ニューヨークを観光していると頻繁にでくわす、赤色の2階建て観光バス。
いくつかのルートがありルート内であれば乗り降り自由のバス。家族皆(今年の5月両親が訪れた。)でマンハッタン観光はかねてからのプランでこのバスを利用することにした。
まずは8アヴェニューの47ストリートと48ストリートの間にあるチケット売り場に向かう。入ろうとすると赤いジャケットを着た黒人の男性が、チケット?と聞いてくる。係員らしい。我々は24時間有効のダウンタウンを周るDOWNTOWN LOOPのチケットを購入。(一人39ドル)ダウンタウンの主要観光スポットを約2時間かけて周るというものだ。カード支払いであったが、その外にいた係員が携帯の機械で処理してくれる。乗り場は一つ向こうの通りからという。
タイムズスクエアのど真ん中(ブロードウェイの47ストリートと48ストリートの間辺り。)には赤いジャケットを着た黒人の係員がかたまっていたので、すぐに発着場所を発見。2〜30分ごとにバスはくると聞いていたが、2〜3台続けさまにやってきた。
そして係員はその中の1台に乗っていた乗客を全員一旦外へ出し、いよいよ我々は乗り込んだ。2階の1番前左を母と妻が確保。私と父は前から3番目に座る。(じき我々も一番前右に座ることができた。)(一番前はやはりベストな席だ。)(乳母車は誰も座らない1階に置かせてもらうことができた。)席はほぼ満席状態。
発車してからタイムズスクエアを走る間は高い視点から見る景色がとても新鮮で少々興奮したが、すぐに慣れた感じであった。2階から見下ろす感じはやはり気持ちがよい。
スーツを着たガイドがとても早口な英語で次から次へと通過する観光スポットを紹介する。聞き取りはかなり難しく、多くは耳から耳へと流れてしまう。乗客はアジア人はやはり少ない。一人韓国人の老人が乗っていたが、しかめ面をして目をつぶっていたのは中々印象的であった。家族につきあいで乗ってきたのかもしれない。
バスはタイムズスクエアから南へ走り、メーシーズ(34ストリートにある大型デパート)、エンパイア・ステート・ビル、グリニッジ・ビレッジ、ソーホー、チャイナ・タウン、市庁舎、ワールド・トレードセンター跡地、そして最南端のバッテリーパークまで下る。
ガイドは乗客が乗り降りするたびに下へ降り忙しい。出発すると再びマイクを取りマシンガントークが始まる。又道路も渋滞で少々混沌としており、落ち着いて市内を見渡すには少し忙しすぎる雰囲気だ。
その後バスは北へ向かい、サウス・ストリート・シーポート、ブルックリン橋を抜け、イーストビレッジ、そして国連へと向かった。この辺りまで来ると少し退屈し始め、どこで降りようか少し意識し始める。
そしてロックフェラー・センターで我々はついに降りることにした。降り口ではマシンガントークのガイドが立ってくれていた。サンキューと礼を言う。どういたしましてとニッコリ笑ってくれた。
その後我々はロックフェラーの展望台に昇る予定でいた。初めてのニューヨーク市内観光でなくても、又英語が多少わからなくても1回乗ってみる価値はあると思う。ちなみにこのような2階建てのオープンバス(ダブルデッカー)はこちらの日本のツアーバスにはない。


歯医者2

3回目の治療日は両親がこちらへ訪れていたので、変更を頼み、6月9日になった。
この日も引き続きアジア系の女性が担当。けずったり、つめたり、レントゲンをとったり、色々やることが多いようだ。夏休み中になんとか治療が終わらないか聞いてみると、あと3回で終了できるだろうと言ってくれた。又金額を受付で聞いてみると、以前のトータル1450ドルから約1000ドルにさがっていた。念を押すがそうらしい。安くなる分には変更はもちろんいっこうに構わない。ついでに残りのアポイントメントを全てとってしまう。6月、7月、8月と1回ずつ取ることができた。
そして今日、6月23日、4回目の治療。今のところ、治療中、後の痛みは殆ど無く順調のようだ。彼女の腕も信頼できる。アジア人だからより丁寧にやってくれるかなという気持ちも正直少し自分の中にあるようだ。今日は又削って、詰め物をしているようだ。器具はさすがアメリカなのか、今まで見たことのないようなものを使っている。歯を固定するもの、詰めもの、そして詰めた後の処理に対して色々な器具がでてくる。そしてレントゲンもよくとる。ちなみに治療中の助手はだいたいヒスパニック系の女性が多い。そして詰め物が終わり、ドクターは一通り舌で治療箇所がスムーズかチェックしてみてと言ってくれた。
そしてこの日も1時間ちょっとで全て終了。今度のアポイントメントは別の医者になるかもしれないとのことだった。今日は、しめて198ドル。あと2回くれば終わる。ふー。金かかるーっ。


Top of the Rock

写真:2枚とも、ロックフェラー・センター展望台からの風景。
上の写真はマンハッタンの北側。緑はセントラルパーク。左側の川(ハドソン・リバー)の先にかすかに見える橋。それがジョージワシントン橋。その橋を西に渡り10分程歩くと我がアパートがある。川を挟んだ西側はニュージャージー州となるのだ。(マンハッタンはニューヨーク州)。
下の写真はマンハッタンの南側。真ん中左はエンパイアステートビル。ワールドトレードセンターが無くなった今、このビルはマンハッタンを象徴する建物といえる。右側の川(同じくハドソン・リバー)の先にかすかに見えるのが(見えないか!?)、自由の女神。マンハッタンの南端まで行けば、女神像の存在ははっきりわかる。

ロックフェラー・センターの70階にある展望台。
去年の秋頃、20年ぶりに再オープンした、最近のホットな観光スポットといえるかもしれない。日本の1日観光ツアーなどでも、この場所はよくとりあげられているようだ。
ロックフェラー・センタービル前(冬はスケートリンクになり、又あの有名なクリスマスツリーが立つ所。)にはいつも多くの観光客が集まり記念撮影をしているが、ここではその展望台の宣伝をしている係員が見受けられた。チケットの係員などもとても丁寧で愛想が良い。
お決まりのように、まずはロックフェラービルの歴史を語る写真が壁にディスプレイされ、そこを過ぎるとビルにまつわる短い映画も上映していた。そこで写真を撮られる。最後出る時に見て買うかどうか決めるやつだ。(結局買わず。)そしてエレベーター。エレベータの天井は透明になっており、光と音がでて上へ上がっていく様子が見える。まるで垂直に上がるジェットコースターのようであった。
そして屋上へ。ガラス張りの階とそれが無い階とがあり、景色はどちらも申し分なく最高。展望台はエンパイアステイトビル(86階)よりは多少低いが、そのエンパイアを見ることができるのだから、ここも捨てがたい展望台だ。
どさくさにまぎれてプロのカメラマン(そこで有料で撮ってくれる)にデジタルカメラを渡し、写真を撮ってもらった。5月終わり頃であったが、屋上は風が強く少し寒い。又ガードマンが数多くいた。場所が場所だけに大変だ。
そして1階に降り、ギフトショップで父が私の娘に「Top of the Rock」と書かれたTシャツを買ってくれた。
景色を高い所から眺めるのは気分がすっきりして中々気持ちが良い。ちなみに展望台に上がるエレベーターは夜の11時まで動いている。夜景もさぞかし綺麗であろう。


ファミリー・ケア

以前日記でも触れたが、私が住むニュージャージー州(マンハッタンの西隣)には、収入が少ない親や子供に州から医療保険のサポートが提供されるファミリー・ケアというシステムがある。
私の娘はアメリカで生まれたのでこのサポートを受ける資格があり、又その親は学生である為、無収入と申請できる。運良くか当然なのかよくわからないが、去年申請して今年のはじめに許可がおりた。
指定された病院に通えば、娘の医療費はただとなるものであった。今まで、健康診断だ、予防注射だと、1ヶ月毎に100ドル近く病院から取られていたので、このサービスを娘が受けられるのはとてもラッキーなことであった。
数ヶ月前に証明書が発行され、今日(7月31日)初めてこのサービスが受けられる病院へ行った。
妻の友人の紹介で、韓国人の医者を近くで見つけることができた。ちなみにこのサービスが使える病院は非常に少ない(利益にならないからであろう)。
病院(オフィス)は韓国街のビルの中にあり、内装はとても簡素な感じ(待合室も椅子がいくつか置いてあるのみ)で、このようなサービスを受ける所だからかなと思ってしまった。受付が一人、そして医者ももちろん一人。40代前半と思われる韓国人女医は私が日本人の為、英語をたくみにあやつり、丁寧な感じで説明をしてくれた。簡単な身体チェックと注射3発。
ちなみに今日でこのサービスは更新をしない限り、終わりということらしく、急いで更新の手続きをする予定だ。(1年に1回更新が必要らしく、何故かまだ許可がおりて間もない我々もその手続きが必要なのである。)その辺の連絡の便りは事前に一切なく、この状況はこちらからカスタマーサービスに電話して知ったことであった。医療費がただになるサービスであるのだから、いい加減な感じもうなづける。しかもここはアメリカだ。(苦笑)


車の免許更新

私が住んでいる州(ニュージャージー州)は学生は車の免許の有効期間が1年3ヶ月と決まっているようで(陸運局職員の話によれば、学生は本来勉強しにきているはずであり車の免許は必要ないと考えられているという。最もだ。でも自分には子供がおり必要性にせまられてと私は弁解。)私は有効期限が来月(9月)である為、今の夏休みを利用して近くの陸運局を訪れた。(左の写真。)
混雑していることは予想できたが、かなり待たされる。必要書類が全てそろっているかチェックするところ(パスポート、学校証明、現在の住まいの住所証明、ソーシャルセキュリティ番号など多くを要求する。)、又その書類を詳しく審査するところ、そして写真を取るところと免許証を発行するところと、部門は一応分かれているが、あまり効率が良くない感じである。
ヒスパニック系の従業員達もトロトロ働いているわけではないだろうが、明らかに待ちすぎてしびれをきらしている態度を見せる人々が多くいた。
書類がそろっていないとスパッと断られるので、揉め事になった場合のためにガードマンが待機している。去年免許取得の際、私も1点足りない物を指摘され、又来なければならないはめになったことがあったので今回は万全を期した。
結局2時間待たされたものの無事更新終了。ぴったり1年3ヶ月間有効の免許証取得。


初の車の洗車

写真のようなハンドウォッシュの洗車の場所は私のアパートの周りにいくつかあり、韓国人がオーナーでメキシコ人達を雇って洗車をさせているようだ。
料金は14ドルでチップは別。5〜6人の洗車をする人達が車1台ずつに群がり左の写真の黄色い建物の中で車をまず洗う。そして洗い終えた車は下の写真のように中の掃除をしてもらう。トータルで約15分くらいの工程だ。
私の中古の車は購入して丁度1年経っており、それまで一度も車を洗ったことがなく、いつも役に立ってくれている我車に申し訳なく、今日初の洗車となったのだ。
チップは作業員がこれだけいるのにどうやって渡すのか最初少し疑問であったが、まず仕切っている韓国人にカウンターで14ドル払い、チップは表の「チップ」と書かれた箱の中へ入れるようであった。2ドルをチップとして入れる。
後で気づいたことであったが、トランクの中を清掃するのを忘れていたようでまだゴミが結構たまっていた。しかし、車は新車のようにピカピカだった。
韓国レストラン、韓国デリでもいえることだが、この洗車会社のように、メキシコ人達を下働きとして雇っているところはとても多い。同じ韓国人より、安い給料で雇えるからであろう。もちろんこれは韓国人経営の会社に限ったことではないが。炎天下の中での洗車の仕事はきついはずだ。



妻、アメリカで免許取得

去年(2005年の夏)、妻は筆記試験を2度目でパス。それから約1年、子供をデイケアセンターへ送る必要性から路上試験にむけて、ドライビングスクールのインストラクターと路上運転の練習をしていた。
基本的にこちらでは筆記試験に受かった後、免許を持っている人間が一緒に乗っていれば、路上でも練習できる。
私も何回か一緒に乗ったがすぐに胃が痛くなり叫び声を度々あげてしまうので、彼女もやむなくインストラクターをつけ練習をしだしたのだ。安全のためにもそれが良いはずだ。
結局かかった費用はスクール費用、2時間x5日の10時間で500ドルと、路上テストの車料金120ドル、その他諸費用こみで、合計約650ドルで車の免許が取れてしまった。縦列駐車が一番難関らしかったが、一発オーケー。
こちらは車免許取得は簡単で費用もかからない。しかし簡単な分、恐ろしい運転をする人々をよく見かけるので、当然事故も多い。妻も気をつけて欲しいものだ。


歯医者3

7月のアポは医者の都合でキャンセル。そして8月18日。ドクターはかわるが、再びアジア系の女性。アメリカ生まれか英語は完璧だ。
レントゲンを見せてくれ詳しく説明してくれる。前のドクターがあと2回で終わるというのは間違いのようでまだ治す歯が隣にもう1本あるという。そして金額もさらにかかるとか。何ー!?とりあえず1本目を治療してもらう。
アシスタントはレゲー風の黒人男性。良い感じだが、後ろを通り過ぎる他のスタッフとちょこちょこよく喋る。(日本的感覚かな。)そんな中ドクターは手際よく丁寧に治療してくれる。
そして受付でまたドクターから金額など確認。次のアポの時(8月30日)にどうやらハッキリする様だ。
とりあえず今日はさらっと545ドルとられた。これは聞いていたものの、すでに1000ドルかかっている。彼女の話によれば、もう1000ドルとか。安くなったり高くなったり。次回は交渉だ。フー。


アメリカの運転マナー

アメリカに初めて来た時、建物の中に入る際、後から来る人のためにドアを開けて待つアメリカ人を見て感心したのを今でもよく覚えている。又道を歩いていて少しでもぶつかると、すぐにSORRYという声が聞こえてくる。
このような習慣は日本にはなく、私も見習わなければいけないものとして自然に身についていった。
日本のように混雑した中で我先と急ぐ姿もあまり見られず基本的には皆紳士的だ。そのためか、押された時等は「押さないで!」とすぐ声が発せられる。彼らと比べコミュニケーションがあまり得意でない我々日本人は、このような状況(押された時等)で言葉が発せられたときはもう喧嘩になっている時が多いかもしれない。人が多いなかでのマナーは我々が彼らから学ばなければならないものの一つであろう。
さて、運転マナーはどうであろうか。
私もこちらで運転し始めて1年経つが、マナーは悪い。
人間同士ではあれだけ譲り合いの精神があるのに、車同士ではすぐにクラクションを鳴らしかなりわがままなドライバーが多い。
ウインカーをださずに強引に車線変更をする車、後ろから来ている車おかまいなしに一時停車する車など、自分勝手な態度に思わずこちらもクラクションを鳴らしてしまう。
広いアメリカ、運転マナーも場所によるだろうが、私が住む近辺(ニュージャージ州)は利己主義なドライバーが目立つ。このような時、アメリカ人は本当にマナーが良いのかわからなくなってしまう。ちなみに私が住むこのニュージャージー州はアメリカで事故率ナンバー1の州である。


歯医者4

8月30日。以前何回か診てくれていたアジア系の女性ドクターが受付に座っていた。どうやら再び彼女が診てくれるようだ。「調子はどう?」と。もう1本治療の必要を見逃していたか、その日が最終日と以前言っていたので、「もう1本治療しなければならないんだよね。」と聞く。「そうだったね。」とやはり見逃していたらしい。この日は新しい義歯をはめこみ終了。
別の歯にもう1000ドルかかると聞いたので確認しようとすると、受付でと言われる。そして最初の治療の時にもらった金額のリスト(総額1450ドル)を見せて、「もう1000ドル位すでに払っているけど、これ以上はかからないよね。」と受付に質問。ヒスパニックの女性はそれを見て、これはあくまで見積もりで後で変わる。合計金額はわからない。とにかく毎回の治療が終わったごとに支払いは必要だと言ってきた。
それまでさんざん合計金額はこのリスト通りであるか聞いて確認していたのに。私は早速いらつきを表にだしてしまい、少々エキサイトしてきて口調も強くなってきた。何人かのアシスタントは黙って状況を見守っている。その日診てくれていたドクターも間に入ってきて状況を説明しようとする。他の受付の女性も入ってきて、とにかく見積もりなどはっきりだすことはできない、という。「何回もそれは確認したが彼ら(そこにいない受付)はそうは言っていない。はっきりとこの金額だけと言っていた。」と自分も主張。すると「それを言ったのは私ではなく私はそこにはいなかった。」と得意の個人主義的な主張が返ってきた。(グループ主義的な日本人としてはこのような態度は中々受け入れらないのだ。)
結局、もう1本の治療は、別の病院にうつりある治療を終えてから、又戻ってきて少し治療して全て終了ということであった。見積もりはだいたいもう1000ドルくらい。
そして別の病院にいき、3回目で予約が完了したのが本日9月8日であった。
その病院はいわゆる総合病院で、まずは登録しなければならず、1回目は8時半から2時の受付と聞いていたので2時きっかりに着き、もう受付は終了ととりあってもらえずでなおすことに。2回目は12時半にいくと、今は昼休み、1時に戻ってきてと言われ、学校のクラスに戻らねばならずその日もギブアップ。そして3回目。30分待たされ、ついに8月29日に予約完了。
「アメリカ人は」と一概に言えることではないが、自分の言葉にもう少し責任を持って欲しいと感じる人間は結構多いようだ。
歯医者5は9月29日以降で。


歯医者5

9月29日。病院が変わり(またもとの病院へ戻ることになるが。)初めての診察。予約は10時。ぴったりにおとずれる。何人か待っており、一人の患者が遅いと文句をいっている。結構待たされるのか。
そして10時20分ごろ名前を呼ばれる。案外早い。アジア系の若い女性ドクター。「歯のチェックですか?」と聞かれ何やら私の状況を把握されていないよう。彼女は私のファイルを少しながめた後、「来る階が違いますね。」と言われる。どうやら登録時(予約時)、係の人間が私のファイルを間違って処理したらしい。
といっても前日電話で予約時間と来るべきフロアを確認したのだから、電話の受付もいいかげんということになる。
彼女は予約すべき正しい階へ連れて行ってくれ、そこで改めてアポ。結局出直しだ。
今回は文句を言わず苦笑いですませたが、何人かによるいいかげんさにはやはり呆れてしまう。
日本であればこのようなことは中々起こりにくいが、こちらでは又か、という感じ。ただ個人主義の国、腹をたててもエネルギーの無駄遣い。ミスしたのは私ではないでケロッとされ終わりである。
もちろん多くの人々が他人をケアしながら責任をもってきっちり仕事をしているのだろうが、何人かのいいかげんさがかなり目立つといった感じであろう。
出直しのアポは10月2日。


歯医者6そして突如終わり

そして10月2日。病院を移動して初の治療日。今日は11時アポで間違いない場所へ。
すぐに若い男性が自分の名を呼んでくれた。彼は自分の名を名乗り握手。まずは状況を話す。彼はコロンビア大学の博士課程終了の研究者で、歯の根管の専門医であった。どうやらそのようなコロンビア大学の若い研究者が働いている場所のようだ。
まずはレントゲンを撮ってチェック。さすが若いせいか!?一動作一動作前もって私に逐一説明してくれる。私もここぞとばかりに質問攻めを始めるが(費用、状況など。)、英語ではつっかえガタガタで中々難しい。久々英語をいっぱい喋った感じ。
結局、私の虫歯は治療できな状態であれば抜いてしまうかどうかという状況であるらしく、専門の彼でも判断しかねるところで(私に痛みがないのは不思議らしい。)、他の医者に相談して又テルするとのこと。
そして夕方、痛みがないのであればこのまま治療しないで様子をみるのが良いとのアドバイステルをもらう。
以外な判断に、少しビックリ。しかし専門医のいうことだ。痛みが感じたとき、又来てくれとのこと。
今後、又1000ドル近くを払わなくて済むと思えばホッとするが、完治していない状態はあまり良い気分ではない。
突然の治療終了で少し拍子抜けだが、高度な技術とはいえ異常な治療費を払うことを考えれば、日本で治すのがベストだろう。
とりあえず、アメリカ滞在中は痛まないことを願う。結局歯1本の治療で合計約1000ドル(12万円近く)を払った。
上の写真はこの日行ったマンハッタンにある病院。中々でかい。


他人とのコミュニケーションの仕方

私がアパートを出てバスに乗るまでの間、通学生徒の歩行安全を守るおじさん(日本では緑のおばさんであろう。)や銀行の前に立つガードマンのおじさんとよく出くわす。
ただ顔見知りというだけで、ニコッと笑って「元気ですか?」と声をかけあう。
又歩いている時や乗り物を乗り降りする時、こちらの多くの人々はお互い表面的であろうと何であろうと、スマイルを浮かべながら譲り合いの精神を忘れない。(勿論我先という人もいるが。)
そして見知らぬ人に道を聞いたり、会話を始めたりするのも、実に自然でオープンな感じ。
このような他人とのコミュニケーションの仕方は我々も学びたい。
素晴らしいと思う。


ブロンクス動物園

マンハッタンのすぐ北に位置する、ブロンクス動物園。日本の旅行ガイドにも掲載されているので日本人観光客も訪れるはずであるが、マンハッタン郊外のためか現地の人間が大多数という印象を受けた。ヤンキース・スタジアムもこのブロンクス地域にありすぐ近くだ。
この日はあいにく、風も強く肌寒く、「天候のコンディションにより哺乳動物は表にだしていない。」との掲示板があった。子供を連れた家族は圧倒的に多く、ハロウィンの時期でもあり奇抜に化粧してコスチュームを着た親子連れが目立った。
動物園内はだだっ広い森林公園内に、ポツポツと色々な動物が見えるという感じであった。しかし、キリンやトラなどの大きな動物は天候のコンディションという理由により見えない。
約2時間をかけてほぼ半周して戻ってきたのであるが、目玉は室内で飼育されている親子ゴリラであった。
後は上の写真のように全く動かない野牛、そして鷲、鷹、猿、アフリカの野生犬、爬虫類などの比較的小柄の動物達を見学した。
1歳になる娘が主役の予定であったが、まだ怖いのかあまり見ようとせず、ギフトショップでのみはしゃぎまわっていた。お土産品はTシャツや置物など動物キャラをあつかったもので中々センスのあるデザインが見られた。
入場料は大人14ドル(約1700円)。通常は5時半まで。冬季は4時半まで開園している。
もっと温かい時、自然を感じながら散歩する場所としては良いかも。ある意味アメリカらしい大雑把な感じの巨大森林公園兼動物園であった。これはもちろん私の主観的な感想である。


品物交換

デパートやスーパーで買った物などの返品や交換は、日本より比較的簡単にできるといって良いであろう。
場所によってはレシート無しでも、他の品物と交換できる。
先日ある英語のテキストを買ったのだが、内容が簡単すぎて2〜3日後にその本屋へ行き、他の本と交換できるかと駄目もとで聞いてみた。レシートも無い状態でだ。
すんなりオーケー。さすがにこれには驚いた。
新たに選んだ物は前の物より高く、5ドル余分に払ったものの本の交換はまず無理と思っていた為、何か得した気分であった。


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